もち子の正解

愛人(貧乏)生活15年選手。もうそろそろ正解を決めていきたいです。

父のとろみ

私の父は一年前に病院で亡くなった。
病院で出されていた父への食事にはいつも「とろみ」という札が付いていて、父は死ぬ直前まで、とろみを食べ続ける事を強要された。病院からも家族からも。

 

 

 

白米はドロドロの粥。おかずの煮物も炒め物もデザートまでも、父に出されるものは全て細かく刻まれ片栗粉に似た透明なとろみで覆われていた。水やお茶でさえも。全てにとろみ。

 

なぜ「とろみ」を付けるのかというと、とろみ剤により粘度を付けた食べ物は喉をゆっくりと通過する為、特に老人の誤嚥による肺炎の防止になるのだそう。父・79歳、飲み込む力(嚥下機能)の検査をした上での病院の決定だった。

 

とろみ調整剤

▲父の宿敵、とろみ調整剤の面々
 

 

とろみ地獄のはじまりとなった入院は、別に嚥下機能のせいではなかった。とある手術の後遺症で入院が長引いたその間、誤嚥したら危ないからという事でとろみ食となったが「とろみが不味い→食欲落ちる→体力落ちる→ので後遺症も改善しない→入院長引く→益々食べない」の悪循環に陥った。一度は家にも帰れたが、風邪で再入院すると再び始まったとろみ攻撃により見る見るうちに瘦せ細っていき死んだ。

 

あ、とろみ以外の食べ物といえばババロアのような豆腐のような宇宙食のような総合栄養食品があった。コーヒー味やバナナ味の尋常じゃない甘さで、毎食1丁必ず付いて来たこれも地獄だったろう。幾ら甘いもの好きの人間でさえも辛いであろうこの激アマ&激マズな宇宙食を、あとひと口、あとひと口と看護師さんがスプーンでアーンして来る。父と同様に口を一文字にして死んだような目でアーンを拒む老人を何人も見た。食堂が暗い保育園のようだった。

 

 * *  * 


父の体重は減り筋力も落ちるいっぽう。血圧の低下も酷く、車椅子で食堂へ行くことも出来なくなり毎食家族が付き添う事になった。嚥下の検査では回復が見られたので、少しでも歯ごたえのあるもの、とろみの無いものを食べさせてみたい等言ってもみたが許可は出ず、私はすぐに諦めた。医者、看護師、同室の患者たち、周りの全部が父に対して、子供じゃあるめぇし甘えるなと言ってる気がしたし私もそう思っていた。我が儘を言ってモンスター家族と思われるのも嫌だった。

 

 次第に父は食事はおろか、とろみ水、とろみお茶も飲まなくなり、こうなってくると病院側も「何でもいいからとにかく水分をとってくれ」となっていた。ある日「熱い缶コーヒーが飲みたい」と父が言ったので看護師に飲ませていいかと訊いてみた。「いいですよ~買ってきたら何時でも言って下さいね~、とろみ付けますから」との事で、結果【コップに移し替えた缶コーヒー・とろみ付き・ぬるめ】が出て来た。父の望んだ缶コーヒーはもはやどこにもなく、半分も飲まなかった。病院の許可を求めた私が悪かった。

 

 

 79歳の誕生日数日前、看護師さんに内緒にするから何か食べたい物はないか、と父に訊いてみると

「納豆餅と、きゅうりとワカメの酢の物」と投げるように言った。

もうずっと無気力で「何も食べたいものなんか無い」ばかりだったのでその時の私は心の底から嬉しかった。やっと〈欲を言う力〉が現れたと。が、すでに私の脳は誤嚥の恐怖に洗脳されていたようで、(…餅はさすがに誤嚥だろ! ましてや納豆の粘りなんて誤嚥する為の物質! ゴエン、ゴエン! 酢の物は…まあ良しとしよう…)という何処から湧いたのか分からない理屈で、私からのバースデープレゼントは【片栗粉で自作のとろみを付けたきゅうりとワカメの酢の物】と決まった。誕生日、私は酢の物を病院へ持参したのだが、看護師さんらの目を盗むタイミングが取れず、タッパーを開ける事はせずにそのまま家に持ち帰ってしまった。その頃の父はいつもボーッとしていたので「納豆餅と酢の物」を待ち望んでいたか、分からない。父は何も言わなかった。

 

 

 TOKIOの山口騒動をワイドショーで見ていた時だったと思う。父が急にコンビニのおにぎりが食べたいと言った。(ほい来た! 今度こそは食べさせてあげよう!)私はきびきびと行動へ移した。コンビニへ買いに行き、戻ると病室周囲、廊下をくまなく見渡し、人の気配が無いのを確認するとベッドのカーテンをきっちりと閉め、音をたてない様そっとおにぎりを手渡した。探偵だかキャッツアイだかにでもなったような得意満面ヅラで。ーーー父は無表情だった。おにぎりを受け取ると包装フィルムをペリ、ペリ、ペリ、、、、、ペリ、、、ゆっくりと剥がし「半分やる」とちぎって私へ手渡す。私は看護士さんの足音に聞き耳を立てながら、父の指で潰れたおにぎりを素早く口へ放り込んだ。ノロノロと食べている父に「海苔、喉に張り付かないようにちゃんと、ゆっくり、噛んでね」とせわしく言ったのだった。

 

 

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まともな食事をさせずに父を死なせた私の後悔とやるせなさは、やがて怒りとなって「とろみ」へと向かった。更にとろみ以外を許可しなかった病院へと向かう。もちろん病院はやるべき仕事をしたまでであり、とろみだって本当は人の役に立ついいヤツなはずである。


病院はモンスター家族から責任追求されないよう誤嚥を恐れ、
私はモンスターと思われることを恐れ、そして父は衰え死んだ。

とろみや病院食や診療方針に私が反対する事は、まるで父の生を諦めているかのようで不謹慎だと思っていた。

 

私はもっと潔くとろみを拒否し、病院へ我儘を言い、転院や自宅へ連れ帰る選択肢を探るべきだったと思う。もっと父の生死に家族が責任を負うべきだったと思う。父の生死を人任せにしていた事への後悔だと思う。歯の丈夫だった父に歯ごたえのあるものを食べさたかったと思う。

 

納豆餅
▲納豆餅