もち子の正解

愛人(貧乏)生活15年選手。もうそろそろ正解を決めていきたいです。

30年ものの梅干しメタモルフォーゼ

 

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今は亡き叔母の手作り梅干し、およそ30年もの。

昔付き合った彼氏にも、結婚して離婚した旦那にも、今一緒に住んでいるラ・マンにもほんのひとちぎりしか食べさせず、独り占めして私だけで大事に食べて来た。

 私が一人暮らしを始めた18の時、勘当すると言われた父に隠れて実家に戻り、印鑑と梅干しの瓶をこっそり持ち逃げたあの夜から早27年、少しずつ食べて来た。というか少しずつしか食べられなかった。塩っぱ過ぎて。

実家にあった時の最初の数年は当時の父曰く「まだ早い」そうで、尋常じゃない塩気だったし家族の誰も手をつけなかったが、10年ほど経った頃から梅干しが激変したのを覚えている。塩っぱいだけでない何かに進化したのである。塩っぱいのに塩っぱくない、甘くないのに甘いという訳の分からない未知の味だった。この梅干しメタモルフォーゼに何故だかただならぬ金儲けの匂いを感じた私は、いそいそと実家に向かい残っていたもう2本の梅干し瓶をまたもや隠れて持ち出し今に至るのだが、金儲けになどなるはずも無かった。

数年存在を忘れてしまった時期もあり瓶の周りにはカビが生えた事もあったが、中身はカビなど生きる隙を与えない屈強な塩分がガードしてくれていた。

20年ほど経つと梅干し達は黒くしぼみ、塩がふき、全体は何故か透明なとろみが出て来た。とろみは今ゼリーとなって瓶の中全体を守るような塊となって覆っている。そのゼリーも出汁でも入ってんのかと疑うほど塩っぱ旨い。お腹を壊すのではないかという不安はいつもあるが何も起こったことは無い。もう10年、さらに20年と育てることが出来たらどんな変貌を遂げるのか、腐ってばかりの私の人生において腐り知らずのこの梅干し達はささやかな楽しみであったのに、悲しいことに現在残りあと僅か、梅は10個ほどと紫蘇が数枚となってしまった。

 

製造年月日の一切分からない、叔母お手製の梅干しやら味噌やらは、他にも沢山、宮城の父の実家の蔵に残っていたのだが東日本大地震で全て割れてしまいそのまま捨てられてしまった。

無念です。

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