VS老人の冷蔵庫、その戦いの軌跡
実家へ帰るとまず最初にすること、冷蔵庫の中の食材を捨てる、です。
そこはいつでもワンダーランドで、腐ったカット野菜やもやし、袋から酸っぱい汁をベタベタ漏らす漬け物数種、潰れた果物、匂いを放つ肉類等々、腹わたを煮えくり返しながら捨てていきます。
ここで老人と会話をしてはいけません。「これもう捨てるよ」などと声掛けをせず気付かれない内にジャンジャン捨てるが正解です。思い出したが最後「それは今日使う」だ「まだ食べれる」だで言い合いが始まり、結局数日後に捨てることになるのです。買ったこと自体忘れているのだからそっと捨ててしまうが優しさです。
ひと通り捨てた後は、もうすぐゴミ入り、かろうじてまだ食べられる腐りかけの食材たちをそっと持ち帰るか、その場で調理します。
母の頭の足りなさにモヤモヤする自分と戦いながら。
鮮度ゼロのごぼうとの戦い
水分の無くなったフニャシワごぼうを茹でます
ツナとマヨネーズと芝麻醤、塩コショウ。
歯ごたえの無いごぼうサラダの出来上がり。
ツナとゴマのコクでごぼうを助けましょう。
あまったごぼうサラダにチーズをかけてトースト。
もはやごぼうはどうでも良い。
シワシワになったりんごとの戦い
シワシワのモッサモサになってしまったりんごは煮るの一択。
頑張ってジャムを作ってもまた冷蔵庫のこやしになるので、
レモンと砂糖で軽く煮てさっさと食わしてしまう。シナモン多めでりんご味を助けましょう。
パンに乗せたり、アイスにかけたり。結構喜ぶ。
まずくても老人には捨てられない佃煮との戦い
老人は佃煮と漬け物と乾物は腐らないと信じている。
冷凍すれば何でも1年以上もつと信じている。
スーパーで買ったイワシの梅煮を、まずいと言いつつずっと保管している。
ちょっと料理ゴコロに火がついて、イワシの梅煮をマヨネーズで和え、
新しい風を吹かせてみようかなどと思った。
大失敗した。
レタス、ハム、トマト、玉ねぎ、パクチーと
梅煮感を消す洋風カウンターを首尾よく揃えたはずが、見事にまずかった。
鮮度ゼロのセロリとの戦い
セロリもよく冷蔵庫に残っている。そんなに好きじゃない筈なのによく買って来る。
細かく刻んでドレッシングにしてしまおうと。
香りがちょっと変だったのでまずオリーブオイルとニンニクで炒める。
カリカリベーコン、塩コショウ、レモンたっぷりで、大成功。
これに新鮮なセロリの香りが加われば100点なのに。。。
* * *
人はなぜ消費できないほど大量に買うのか、なぜ買ったあと放置するのか、なぜ捨てられないか等の分析は、こんまりさんのような片付けコンサルタントの方々が今は山ほどいらっしゃいますので解答があるのでしょうが、自分の親となれば私でも簡単に分析できます。
『ものを捨てる事が罰当たりでもったいない戦中生まれで、もともと掃除やインテリアに興味のない人間が、年をとって動くことが面倒になりさらに物忘れが激しくなった』だけです。それだけ。
自分で買い物が出来てお金があるうちはずっとこのまま、冷蔵庫は腐りかけパンパン状態が続くのでしょう。ちなみに押入れもパンパンです。片付けようとすると喧嘩になります。
これはしょうがない。
高度経済成長期やらバブル期やらバブル崩壊とやらを経て、社会に何が起ころうが、働いて金を作って子供を育ててきただけ。時代の先を見越す頭も無し、金を増やそうとする頭も無し。金が足りない時は家族に内緒でラブホの掃除(でもなんとなくバレてる)、美人でもないのにスナックでバイト(ファッションセンス皆無&すぐ辞めさせられる)、本業の保険の代理店はパソコン時代に入るとついていけずに徐々に廃業(多分周りからお荷物扱いされてた)。
インテリアや片付けなんてものに興味もへったくれもありゃしない。働いて銭こ作って飯食わせて洗濯をしてきただけの人生。
そんな女をどうして責められましょう。
そんな女に何を今更、「ときめく片づけの魔法」だなんだ、「片付けで人生を変える」だなんだ、「片付けは自律神経を整える」だなんだ言えましょうか。
子供や旦那のために冷蔵庫をパンパンにしてきた人生に今更、「おまえアタマ変えろ」と言えましょうか。
これをどうにかしようとするならば、一人の人間をどうにか変革しようとするならば、自分が一緒に暮らして年中見張って洗脳するのみ。
それをしたくないから、そっと、思い切って、捨てるのみ。
私もときめきたいです。